ゲームとサッカーは何が違うのか!

ゲームと社会の在り方を考える

子どもがゲームをやめないのはなぜか【ゲーム依存】

目次

どうしてゲームをやってるの?

こちらの記事

で、「ゲーム依存」が「サッカー依存」より問題だと認識されている話をしました。

ここでは、人が何かに依存するメカニズムを「動機づけ」の視点で捉え、なぜ子どもゲームに夢中になっていることが問題なのかを考察します。

パンを食べても死なないが死ぬと思う人はパンを食べない

動機づけとは、行動を始発させ、目標に向かって維持・調整する過程・機能

  • 生理的動機づけ: 生命を維持し、種を保存させるための生得的な動機づけ
  • 社会的動機づけ: 
    • 達成動機づけ: 評価を伴う達成状況において高いレベルで目標を達成しようとする形態の動機づけ
    • 内発的動機づけ: 好奇心や関心によってもたらされる動機づけ
    • 外発的動機づけ: 義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけ

動機づけ - Wikipedia

とは、何かを欲しいと思う心

欲 - Wikipedia

自己実現理論とは、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである

  • 生理的欲求: 生命を維持するための本能的な欲求 -食事・睡眠・排泄など-
  • 安全の欲求: 予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求 -安全性、経済的安定性、良い健康状態の維持、良い暮らしの水準、事故の防止、保障の強固さなど-
  • 社会的欲求と愛の欲求: -自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚など-
  • 承認 (尊重) の欲求: 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求 -他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ること、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ること-
  • 自己実現の欲求: 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求

自己実現理論 - Wikipedia

動機づけとは、何らかの欲をきっかけに、それを継続的に満たすように行動が調整される脳内システムである、と捉えます。

行動が欲によって制御される仕組みのようなイメージです。

大きく「生理的な欲による生理的動機づけ」と、「それ以外の欲による社会的動機づけ」と考えていいと思います。

人間が共通で持つ生理的な欲によって生じる生理的な動機に比べ、「そうでない欲による社会的動機づけ」は複雑です。

「食べ物を食べる」動機について考えてみる

  • 生理的動機づけ:
    • お腹がすいたので食べる
  • 社会的動機づけ:
    • 好き: パンが好きなのでパンを食べる・ごはんが好きなのでごはんを食べる
    • 食べたい気分: パンが好きでパンを食べたい気分なのでパンを食べる・パンが好きだがごはんを食べたい気分なのでごはんを食べる
    • 残しておきたい: ごはんが好きでごはんを食べたい気分だがごはんは残しておきたいのでパンを食べる・パンが好きでパンを食べたい気分だがパンは残しておきたいのでごはんを食べる
    • 食べ方が綺麗だと褒められるのが嬉しい: ごはんが好きでごはんを食べたい気分だがごはんは残しておきたいしパンは食べ方が綺麗だと褒められることが多くて嬉しいのでパンを食べる・パンが好きでパンを食べたい気分だがパンは残しておきたいしごはんは食べ方が綺麗だと褒められることが多くて嬉しいのでごはんを食べる

社会的動機づけの中には、誤った認識とされるものもあります。

    • 死にたくない: パンを食べると死んでしまうと思うので (死にたくないので) ごはんを食べる

動機づけの話で大事だと思うのは、行動の原因となる欲求の根拠自体を否定することが難しいという点です。

パンが実際においしいものかどうかはわかりませんが、パンを好きに思う気持ちは事実です。

これは誤った認識とされる動機づけについても言えることです。

パンを食べると死んでしまう「かどうか」と、パンを食べると死んでしまう「と思っているかどうか」は別の話になります。

ちなみにこれは、「私は死にたくないのでパンは食べません」と思っている人に、「いや、パンを食べても死にませんよ」と言う事があまり効果的ではないことを意味します。

このことは、実際にパンを食べて死なないところを見せたとしても、「今死なないだけで、私の目の届かないところで死ぬかもしれない。やっぱり私はパンを食べない。」となる可能性がある事からも、想像に難くないと思います。

誤った認識とされる動機づけを改める方法については、また別の機会に考えます。

何かに夢中になる理由

という事で、子どもがゲームをやめない理由を考えます。

「ゲームをやめない」理由を「ゲームに夢中になっている」からとし、それを「ゲームをするように動機づけられている」ととらえます。

ゲームをする動機の中に他の活動 (例えでサッカーを挙げます) の動機と共通するものもあったので、それぞれ特有の動機として分けて記述します。

ついでにゲームと他の活動で共通する動機についても記述します。

ゲームに特有の動機について考えてみる

  • 現実でできないことをするのがワクワクするから
  • 自分の好きな時に好きなだけプレイできるから
  • 今はイベント期間中でワクワクするから
  • 今はボーナス期間中でやればやるほど得だから
  • 毎日ログインすると得だから

サッカーに特有の動機について考えてみる

  • 体を動かすのが楽しいから
  • サッカーを一緒にする人が好きで会いたいから

ゲームとサッカーの両方にありそうな動機について考えてみる

  • 勝てるのが嬉しいから
  • うまくなるのが楽しいから
  • 頭を使うのが楽しいから
  • 上手いと褒められて嬉しいから
  • 勝ち負けを競いたいから
  • 友達ができるから

なんとなく、ゲーム特有の動機に「大人が嫌な顔をしそう」な印象を覚えませんか?

一方で、サッカー特有の動機や、ゲームとサッカーの両方にありそうな動機には、特に嫌な顔をしそうな印象はありません。「大人が喜びそう」なイメージすら覚えます。

パンを食べたら死ぬと思う子ども・思わない大人

ところで、大人が「嫌な顔をしそう」とは、「その動機が誤ったものであると認識している」からと考えます。

パンで言うと、子どもがまるで「パンを食べると死ぬと思っていて死にたくないからごはんを食べている」かのように、大人は見えるわけです。

ゲームをする動機づけの仕組みの中に「違和感」を感じるのです。

ここに、以前述べた大人の「ゲームに対する漠然とした嫌悪感」の一つが垣間見えていると思います。

このあたりの話も後程別の場で検討します。

子どもがゲームをやめないのはなぜか

子どもがゲームをやめないのは、ゲームに対する様々な動機づけが働いているからです。

その内容は、サッカーなどのほかの活動に対して生じるものと似たもののほかに、ゲーム特有のものもあります。

そして、ゲーム特有の動機づけとは、なんとなく「大人が嫌な顔をするような」動機づけです。

子どもが自らゲームと正しく付き合う方法に気づくために、大人は自分の「なんとなく嫌だ」の正体を明らかにして、子どもへのアプローチの方法を考える必要があります。