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ゲームはとっても「やりたくなる」
こちらの記事
で、「子どもがゲームをするのはどういう動機か」を考察しました。
その中に、「ゲームが楽しいから」という動機がありましたが、ゲームにはどうにも「強烈なやりたさ」があるように思えます。
そんな「ゲームがやりたくなる」メカニズムを考察します。
競争の元で洗練されるゲームの「面白さ」
遊びが生まれる瞬間
- 2手に分かれて、足だけで球を奪い合うのは面白いだろうな
- 球を棒ではじき返すのは面白いだろうな
- 球を高いところにある籠に入れるのは面白いだろうな
ゲームやサッカーなど、子どもの遊び (ここでは遊びとします) は、誰かが作りだしたものです。
ゲームであればゲームを作る会社が作るし、サッカーであれば中世イギリスのどこかの誰かが考えたものです。
総じて、「こんなことができたら面白いだろう」という考えがあることがわかります。
ゲームが生まれる瞬間
- 好きな車を選んで競争するゲームは面白くて、「売れるだろうな」
- 無人島でサバイバルするゲームは面白くて、「売れるだろうな」
- 色んな銃で撃ちあうゲームは面白くて、「売れるだろうな」
ゲームが生みだされる考えの中には、「売れるだろうな」が必ず含まれます。
主にゲームを作るのが、利益追求を目的とした「企業」であるからです。
ゲームが、他の遊びと異なる大きな点です。
どんどんやりたくなるようにアップデートされるゲーム
- 車に乗れるキャラクターを増やしてみよう
- 無人島には野生の動物がいて、狩りができるようにしよう
- 銃で撃ちあうのにもルールを付けてみよう
- 毎日プレイしたら報酬がもらえるようにしよう
- 定期的に報酬が増える期間を設けよう
ゲームは誰かが遊んでくれないと利益を生まないため、「面白いだろうな」は極めて洗練されます。
「ゲームをやりたくなる」のは面白さだけではないため、当然それ以外の部分も洗練されます。
ゲームの持つ、自身に極めて動機づけるような特性は、こうした仕組みで出来ているのです。
ゲームが我が子の気持ちを「利用」している!
企業によって洗練された「ゲームのやりたさ」に、何か問題はあるのでしょうか。
ゲームをする本人は、やりたいことができるのでいいとして、第三者的な視点を持つ大人には、問題があるように思います。
なんとなく、「モヤモヤ」するのです。
ゲーム以外にもありそうな動機
- 勝てるのが嬉しいから
- うまくなるのが楽しいから
- 頭を使うのが楽しいから
- 上手いと褒められて嬉しいから
- 勝ち負けを競いたいから
- 友達ができるから
ゲームに特有の動機
- 現実でできないことをするのがワクワクするから
- 自分の好きな時に好きなだけプレイできるから
- 今はイベント期間中でワクワクするから
- 今はボーナス期間中でやればやるほど得だから
- 毎日ログインすると得だから
「勝てるのが嬉しい」、「うまくなるのが楽しい」のはいいことだけど、それをゲームに対して感じるのが何だかモヤモヤする。どうしてだろう。
「今イベント期間中なんだよ。」
イベント期間中は夜中までやらないといけないの...?
「今ボーナスタイムなの!」
ボーナスを得ることはご飯を食べることより大事なの...?
「お母さん、強くなりたいからこれも買って。」
お金を払わなければ、ゲームはできないの...?
そしてモヤモヤの正体に気づきます。
この子の「面白い」が「何か」に利用されている...!
子どもはなぜゲームが好きなのか
ゲームは子どもの興味をひきやすいようにできています。
ゲームは「人が何かをしたい気持ち」を巧みに引き出す特徴を持つからです。
これは利益を追求する企業が競って洗練させるものなので、極めて強力な効果を持つことが多いです。
子どもはゲームが「面白い」としか感じないのに対し、第三者的な視点を持つ大人は、子どもの面白いが「ゲームに利用されている」ようにも感じます。
この認識のズレが「子どもが言う事を聞かない」「大人がわかってくれない」に繋がり、大人には「ゲームに対する嫌悪感」を、子どもには「大人に対する不信感」を抱かせることになります。
これを避けるには、
- 大人が自身の第三者的な視点で見えているものをうまく子どもに伝えることで認識のズレを解消する
- そもそも認識のズレが生じないようにする
のどちらかです。詳しくはまた別の機会に検討します。
いずれにしても、子どもが「面白い」と感じていることそのものは、否定しないであげたいです。